2018年を騒がせた「ツイフェミ」と「表現の自由戦士」が踊る負のスパイラルの画像1
Photo by Tomasz Baranowski from Flickr

「どうせ、今から内容を決めても10月には情勢が変わっているよ」

 毎年、ぼくが運営に参加している出版労連主催の出版研究集会。<出版の自由分科会>の講師を、今年はメイザーズぬまきちに頼んだ。クリスマスイブの夜に、AbemaTVで全話一挙放送されたのも話題になった『School Days』も既に十数年前の作品。でも、いまだ、この男は表現活動の第一線で身を削っている。そんな男に「言論/表現の自由」を軸になにを話してもらうのか。講師の依頼を快諾してもらった初夏、話してみたところ飛び出したのが、この言葉だった。

 初夏、まだ目立っていたのは#MeTooなる言葉。目立っているといっても、多くはネットの中だけのこと。別に、日常の街角に看板が出てたり、電車の乗客がそんな話でもちきりなわけじゃない。でも、SNSを見ると、それは世界を包み込む巨大で神聖な大衆運動のような衣をまとっていた。

 でも、案の定である。正義を振りかざして、他人を悪罵するものは、なにかしらの探られたくない腹を抱えているものである。そのセオリー通りに、噴出した叫び手たちのスキャンダルによって、この言葉は瞬く間に収縮をしていった。

 そして初秋。そろそろ打ち合わせしようかと、メイザーズぬまきちと会った。夜の中華料理屋を手始めに、酒場を回り、日の出を迎えてから、さらに夜明かしのホルモン屋へ。とめどもなく語り合ったけど、本題はまだ決まらなかった。お互いにわかっていたのだ。

 今や「言論/表現の自由」を語る人は驚くほどに増えた。語るといっても、主にネットのなか。ようはTwitter限定で。それを中心に回るトピックスは、驚くほどのスピードで消費されていく。今週は、このテーマ。そして、来週は、このテーマ。このごろは、確か書店に陳列されるライトノベルの表紙がエロ過ぎるというやつだったか。

 ぼくの生業のベースには、様々な現場に参加して、雑多な人と話して感じ取ることがある。でも、不思議なことにTwitterでの「言論/表現の自由」のトピックスが盛り上がる「燃料」を投下する人々。「まなざし村」とか「ツイフェミ」という言葉と共に語られる人々には、いまだかって現実に遭遇したことはない。数年前は自治体のキャラクターを用いたポスターなどに向かって「女性差別だ」云々と、ネットを飛び出て批判もして、クレームには弱い、いや打たれ弱い担当者が慌てて引っ込める騒ぎもあった。最近は、そうしたキャラクターを担当する人もスキルが身についたのか、騒動も少なめ。ゆえに、巻き起こるのはネットの中でのつばぜりあい。どこの誰とも知らないヤツを相手に「気に入らないヤツらは叩きつぶす……Twitter限定で」と意気をまく。かたや「ツイフェミ」かたや「表現の自由戦士」なんて、レッテルを貼って。

 で、10月。メイザーズぬまきちは、出版研究集会で素晴らしい講演をしてくれた。ちょうど、その一週間ほど前に、『新潮45』に掲載されたLGBTを扱う文章が許せんと不買運動だ、会社の前でデモだと息巻いている人が溢れる新たなトピックスが顔を出した。飲んだときには互いに「マニアック過ぎるから、やめよう」といっていたVRの話まで、踏み込んで、きちんとオチがついた。

 さて、この原稿。編集者からは件の「ライトノベルの表紙がエロ過ぎる」なんてTwitterで書いた人がいて、様々な意見が相克した件などを挙げて「ツイフェミの問題とか書いて下さい」といわれて始まったもの。そりゃあ、もちろん書くことはできる。もう、ぼくも40歳をとうに過ぎている。となると、不思議なことに歴史は繰り返す。今、Twitterで話題の「言論/表現の自由」のトピックス。扱っている素材は変わっているけど、おおむね過去には、こんなことがありましたと様々な本に記されている歴史と変わらないのだから。

 ……むかしむかし、アメリカにマッキノンとかドヴォーキンとかいう人がいて「ポルノはレイプの教科書」と叫びました……

 みたいなこと。そんなの仕事場の本棚の本をめくれば、いくらでも書けるけど、面白くもないし、だいいち書く気が起きない。ぼくも、マンガを中心に「言論/表現の自由」について取材して、本まで出してきたわけだけれど、いいかげん情熱も湧かない。だって……気づかないか? 「ライトノベルの表紙がエロ過ぎる」なんてTwitterで書き散らしている人と、それに必死で反論を書き連ねる人。それは、対立しているように見えて、自分の気に入らないものは許さないってことに過ぎないのだと。それともうひとつ、できる限り強く敵と見なした側を攻撃して、なにがしかの称賛を得たいという気持ちも見え隠れしてないか。

 自分がこれまで取材をしてきたマンガに軸足を置けば見えてくるのは我が身のオカズを守るための「言論/表現の自由」。「ツイフェミ」とかいうのも、首をかしげるものだけど、それは逆の側も同様。だいいち、顔も素性もわからない者同士で、なんでそんなにも強烈な言葉を飛ばしあえるのか。もしや、キミたちは仲良しなのでは……。

 ぼくも相変わらず、エロマンガは大好きである。最近は、電子版も充実の一途なので、まだ見ぬ傑作に出会えないかとダウンロード販売サイトを巡回するのは日課である。なればこそ、我が身のオカズを守るための青筋立てた「言論/表現の自由」ツイートはミュートあるいはブロックする。

 いうまでもなく、あらゆる表現は様々な作用を及ぼす。作者の意図や思いすら越えて。現実に、夢の中に。男に、女に。個人に、社会に……。いかなる表現も、世界を変える力がある。だから、為政者ならずも、それを恐れる人はいるのだ。で、「ライトノベルの表紙がエロ過ぎる」なんてツイートが話題になるのはどういうことか。思わず、心揺さぶられて、そんな間抜けなツイートをしてしまうくらいに、その人は衝撃を受けたのである。まさに、華々しい表現力の勝利!

 その先に求められるのは批判に対する防戦? 違う。さらなる表現、新たな表現である。そんなツイートした過去も忘れて「うわ、あの作品買わなきゃ!」と、発売日を楽しみにして、感想ツイートをしまくっちゃうまで、衝撃を与える表現を、ね。

 でも、そこまで素直になれる人ってのは、少ないものだ。それに、性欲のことをあんまりおおっぴらにするのも情緒がない。だから、折り合いもつける。それでも「言論/表現の自由」が萎縮することはない。

 萎縮はせずとも、表現を公にすれば衝突はいわば必然。だってなにが「言論/表現の自由」と思うかは、一人一人の人生によって違うんだから。日々、様々な人に会っていると現実で「フェミが〜」と語り始める人もいる。一方で「オタクとか発達障害ですよ」という人にも会う。でも、そんな時、どうするのか? 「コノ野郎、殺してやる」と実際に刃物は持たずとも脳内で殺してカタルシスを得るのか。それとも、布団の中で思い出してイライラして目が冴えるのか。そんな人も、あまりいないと思う。日々、出会う人の中で趣味嗜好や性欲の向く先が合致する人に会う人のほうが珍しい。

 そう、出版研究集会のおりに「表現の自由」をテーマに様々な講演会を開催しているNPOうぐいすリボンの荻野幸太郎が来てくれた。閉会後、朝まで四方山話をしている時に、荻野がいった。「ねえ、Twitterで○○さんをブロックしているでしょ。なんで?」と。

 ああ、そのことかと、ぼくは話した。今年の春頃に「表現の自由」をテーマにしている政治家やその支援者が集まる宴席があった。ぼくはいかなかったが、後日、ツイートを見て、いささか驚いた。ある人物の誕生日かなにかだったとかで、ケーキ投げをやったという。グチャグチャになったケーキが、借りている会場に散らばっている様を、幾人もが面白おかしくツイートしていた。

「ケーキ投げ用のケーキがあるのは知ってるさ。でも、借りものの会場を汚して、食べ物を使って笑いを取るなんて、ぼくなら許さないね」

 そこには、幾人もの著書もある物書き、現役の議員も参加していたと聞いた。いかに立派なことを話して書いても、床に落ちたケーキと共に底が知れたというわけだ。

「ほんとに、それだけ?」

「もちろん」

(文=昼間 たかし)

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